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映画『マイウェイ』オダギリジョー カン・ジェギュ監督登壇特別試写会&会見 [映画 試写会REPORT]


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こんにちは 上野まり子です。
image1.jpg第2次世界大戦末期の1944年、ノルマンディー上陸作戦後にアメリカに捕らえられたドイツ軍捕虜の中から東洋人が発見された。彼は日本、ソ連、ドイツの3国の軍服を着て戦い、遥かノルマンディーの地へとたどり着いた。アメリカ国立公文書館に保管されていた1枚の写真(右)、それにまつわる驚くべきエピソードが公にされると瞬く間に注目されることになった。果たして彼はたった一人で国境を渡ったのだろうか?もし、一人でなかったら、彼は何を信じて極限の中を生きようとしたのか?このように考えたのが映画『シュリ』、『ブラザーフッド』で全世界を感動させたカン・ジュギュ監督。独自のイマジネーションで時代に翻弄された二人の青年の感動と絆の物語『マイウェイ -12.000キロの真実-』を紡いだ。主演は日本を代表する俳優オダギリジョーと韓国を代表するチャン・ドンゴン。日本、ソ連、ドイツという3つの軍服を着て、数奇な運命をたどった二人の青年。オリンピックを目指した彼ら、しかし時代が彼らの夢や友情を許さなかった。愛、そして国を失っても、アジアからノルマンディーまで5年間、12.000キロを生き抜いた。彼らが生きる事を選んだのは何故なのかと問い掛ける。共演は中国人気女優ファン・ビンビン。アジアの三カ国を代表する俳優が結集した。総製作費25億円を投じ、アジアからヨーロッパに及んだ大陸横断ロケは8ヶ月240日と映画史上最大のスケールとなった。大迫力の戦闘シーンを、CGではなく実写する為、『ブラザーフッド』、『プライベイト・ライアン』、『レッドクリフ』のスタッフが集結。世界16カ国からスタッフ600人、そして延べ7000人のエキストラが投入された。総撮影カット数5700、当時を忠実に再現するため戦車が特注され、用意された弾丸も45,000発とこれまでとは全く違うスケールだ。
単なる戦争映画だったら出演しなかったというオダギリジョーは長谷川辰雄を演じ、これまで経験したことのない程の厳しい撮影に臨んだ。度々来日して出演の説得にあたったカン・ジェギュ監督はこの役は最初からオダギリジョーと決めていたそうだ。また、『ブラザーフッド』以来戦争映画には出演しないと決めていたチャン・ドンゴンも人間ドラマとして描かれた本作に出演を決め、いつでも夢を信じて揺らがないキム・ジュンシクを演じ、二人の息もぴったりだったと言う。言葉の問題を訊かれた彼は、演技は言葉ではなく、感情を交わすことだと答えている。
7年ぶりの監督作品となったカン・ジェギュ氏はこの映画は全てを失った人間が再び希望を取り戻す物語だ。二人の男の姿を通じて、希望と夢をもらえる映画になると思うとメッセージした。


さて完成を待たずにクライマックスのノルマンディー上陸のハイライトシーンを携えてカン・ジェギュ監督が来日、11月21日には新宿バルト9でマスコミ、関係者を招き、『マイウェイ12,000キロの真実』緊急フッテージ試写と記者会見が行なわれた。登壇は主演オダギリジョーとカン・ジェギュ監督。
映画予告編上映が終了すると早速お二人が登壇した。オダギリジョー氏は多くの関心に感謝する。マスコミの皆様ですね!と確認した上で考えて話すと笑いを誘い、カン・ジェギュ監督はお忙しい中お集まり頂き感謝するとまずは簡単に挨拶した。

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カン監督はこの物語の映像化について、SF映画の準備中だった2007年ワーナー・ブラザースよりオファーを受けた。シナリオとドキュメンタリーがあった中、ドキュメンタリーを観て衝撃と同時に感動を覚え、演出したいと思った。ドキュメンタリーが余りに現実離れしており、このような事が現実にあるのかと衝撃を受けた。そこには3カ国の軍服を着て戦い続けた波乱万丈の人生を送った男の歴史があった。それは現実よりドラマチックで、どのようにして生き延びて行ったのかと彼の生命力に強く惹かれ胸が熱くなったと言う。長谷川辰雄役にオダギリジョーをキャスティングした理由を問われ、“なんと言っても男前でしょ!”と監督。その言葉に照れた様子のオダギリジョー氏。監督は出演を説得するため度々来日しているが、最初に会ったとたん、その魅力に取り付かれたという。オダギリジョー氏は韓国でも作品を通して知られており、高い人気を持つ。以前から演技派俳優として一緒に仕事をしたいと思っていた。

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では、その様に待望されたオダギリジョー氏はどうしてオファーを受けることにしたのか。第2次世界大戦下の事実として興味を惹かれたが、自身の俳優としてのスタンスを考え、当初は出演を断った経緯がある。だがカン監督の暖かく情熱的な人柄に惹かれて、度重なる要請にこんな自分でも作品のためになるならと出演を決めた。多々失礼もあったと思うがとは当時を振り返ってのオダギリジョー氏の言葉だ。台本を手にしたオダギリジョー氏はどのように思ったのか。これは大変酷な作品だと言うのが第1印象だった。当時34歳だったオダギリジョー氏、今後このような作品に出演するチャンスはないだろうというのも出演を決めた理由の一つ。またこれだけ大きな規模の戦争映画は邦画では無理だろう。勉強させていただこうという気持ちだったという。

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戦闘シーンのリアルさにこだわった撮影はイギリスに戦車を3台特注する徹底振り。戦車が本物同様に動くだけではなく、爆破シーンの規模もそれまで体験したことがないほど格段の差だった。生きて帰れるだろうかという毎日だったそうで、こうして生きて帰れたのが奇跡のようだと、その過酷さを実感を込めて話した。但しクランクインの際には行きたくないという気持ちが大きかったという。本当に戦地へと送られる気分だったと振り返る。その意味では役づくりは必要がなかったと笑いを誘った。この映画は幼馴染である長谷川辰雄とキム・ジュシクの成長過程がメインストーリー。何があっても一途で、夢を諦めず揺らがないジュンシクに対し、辰雄は置かれた環境に翻弄され、時々に変化して行くキャラクターで対照的だった。辰雄の人物像は第2次世界大戦下の日本軍の将校の典型で日本を背負って戦っていたのだろうと語るオダギリジョー氏。

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さてその様に役に臨んだオダギリジョー氏を監督はどのように見ていたのか。確かに現場と日本を行き来していたオダギリジョー氏は現場に帰ってきたくなかったと言ったと明かした上、これまで多くの厳しい撮影経験があるチャン・ドンゴンと違い、過酷なシーンが続く撮影をすべて完了できるか正直心配もあったと告白。しかしオダギリジョー氏の演技は現場のアクション監督さえ驚嘆するほどだった。またその情熱にも驚かされたという。ところでオダギリジョー氏の撮影現場でのあだ名は<教祖>、モニター前には彼の演技を見ようとスタッフが群がり、監督自身何度も鳥肌が立つほどだったという。彼は長谷川を130%演じてくれたと当初の心配が払拭したことを示した。このように話す監督と見事に長谷川役を演じきったオダギリ氏に会場からは暖かい拍手が送られた。この拍手で監督のアウェイ感もなくなっただろうとオダギリ氏、きっと釜山国際映画祭の際にはオダギリ氏がアウェイ感を強く持ったのだろう。この場はファンではなくマスコミと関係者だけだった事を再度申し上げておく。
さて、この日試写のために監督が特別編集したノルマンディー上陸のシーン。これまで数多くの作品で取上げられて来た題材をいかに新しい物にするかに苦心したという監督は、本作ではドイツ軍側からの視点で描き、その中にいたアジア人の感情を表現する事に重点を置いた。爆破シーンやCGとの絡みを考慮し、細部のディテールにこだわった撮影準備は半日費やす事も多く、それを無駄にしないようにと緊張感を持って現場に立ったというオダギリジョー氏、それもなかなか出来る経験ではないだろうとした。
完成版ではないことを考慮して観て欲しいと監督、ここでノルマンディー上陸シーンが世界に先駆けて特別上映された。お二人もマスコミ陣と共に鑑賞。
その後行なわれた記者質問の模様はページを改める。



<全てを失ってもまだ、生きる道はある>
アジアからノルマンディーまで行きぬいた真実の物語。

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2012年 1月14日(土)全国ロードショー
公式ページ http://myway-movie.com

【概要】

2011/韓国/シネスコサイズ/ドルビーデジタル
監督:カン・ジェギュ (『シュリ』『ブラザーフッド』)
脚本:カン・ジェギュ、キム・ビョンイン、ナ・ヒョン
撮影:イ・モゲ(『悪魔を見た』『グッド・バッド・ウィアード』『オアシス』)
出演:オダギリジョー、チャン・ドンゴン、ファン・ビンビン、キム・イングォン、夏八木勲、鶴見辰吾、山本太郎、佐野史郎、浜田学、イ・ヨニ、ト・ジハン
配給:CJ Entertainment Japan/東映
[コピーライト] 2011 2011 CJ E&M CORPORATION & SK PLANET, ALL RIGHTS RESERVED

<STORY>
 1928年日本占領下の朝鮮で出会った日本人と朝鮮人の少年。境遇の全く違う二人だが、マラソンでオリンピック出場を目指す良きライバルとして成長する。しかし時代は国籍の違う彼らの友情を許さなかった。かたくなに日本を信じた日本人とまっすぐに夢を信じた朝鮮人。運命のいたずらにより、彼らは日本・ソ連・ドイツ3つの軍服を着て戦うことになる。捕虜となり、戦いながらアジアからノルマンディーまで5年間、12,000キロの旅で彼らは何を見たのか?全てを失って、極限状態の中、まだ<生きる道>を選んだのは何故か?生きる道 <マイウェイ>を失わない希望と感動の物語。

 

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